日本の古寺を歩く100選その66 和宗総本山 荒陵山 四天王寺

  • 2015.10.11 Sunday
  • 06:02
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日本の古寺を歩く100選その66 和宗総本山
荒陵山 四天王寺

住所 大阪府天王寺区四天王寺1−11−18
開基 聖徳太子
アクセス JR環状線天王寺駅から徒歩15分

和を持って貴しとなす、聖徳太子ゆかりの寺院



 ここ四天王寺も有名な観光寺で、近くに大坂のシンボル通天閣がありますが最近ではその地位はアベノハルカスにとってかわられています。境内からのアベノハルカスは絵になります。四天王寺は聖徳太子信仰(和を持って貴しとす)の聖地で日本最古の官寺です。
寺の歴史ですが、飛鳥時代廃仏派の物部守屋に勝った聖徳太子が四天王像を刻み、その像を祀ったのが四天王寺です。四天王寺の伽藍(南大門、中門、塔、金堂、講堂)は当初から一直線に並び四天王寺様式でした。その伽藍ですが、戦乱(戦国時代、大阪空襲)のたびに焼失しています。そのたびに再興され、今の伽藍は戦後再興で、五重塔に至っては鉄筋コンクリート製です。しかし伽藍は創建当時の様式のままで再興されています。
ここ四天王寺は庶民の寺だけあって、年中行事には人が集まります。まずが1月の修正会に結願の日の1月15日の”どやどや”と呼ばれる裸祭、次に4月22日には聖徳太子の御霊を祀る法会”聖霊会舞楽法要、さらに8月には盂蘭盆会の合わせて行われる
万灯供養”、また春秋の彼岸会の”経木流し供養”と行事があり、たくさんの人で境内は賑わいます。

四天王寺式伽藍の並びまず南大門

奥が中門


その中門を中からアベノハルカスと



中門の中の五重塔と金堂



金堂と講堂
以上が一直線に



石の鳥居と極楽門

この石の鳥居から間から夕日を



聖霊院の太子堂と太子奥殿

聖徳太子信仰の場



祭礼が行われる六時堂

この風景は聖霊会舞楽大法要の時



彼岸会の亀井堂の経木流



本坊の庭の浄土庭園



今日の一枚
六時堂で行われる”どやどや”と呼ぶ裸祭(1月15日の真冬)



 

日本の古寺を歩く100選その65 聖徳宗総本山 法隆寺

  • 2015.10.10 Saturday
  • 06:56
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日本の古寺を歩く100選その65 聖徳宗総本山
法隆寺

住所 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1
開基 推古天皇、聖徳太子
アクセス JR大和路線法隆寺駅から

飛鳥時代の面影を残す、世界最古の木造建築群



 本日よりは昭和15年に制定された宗教団体法で定められた日本仏教十三宗派より独立した寺として、100選に12寺がリストアップされているので、その寺をアップしていきます。12寺はすべて全国区の寺で観光寺です。その寺はほとんど関西圏にある寺です、そのため何回も訪問した寺が多いので、説明もトピックスのみで、写真はベストショット(私の中で)をアップします。
その第1弾は世界遺産でもある法隆寺です、用明天皇が自らの病気平癒を願い、建立を考えたが志半ばで病死したので、その遺志を継いで推古天皇と聖徳太子が建立した寺(ただし1説では聖徳太子が建立したとされる若草伽藍は焼失したとされている)です。
ところで法隆寺の伽藍配置ですが、初期の若草伽藍は南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺様式だったそうで、今の伽藍は塔と金堂が横に並ぶ法隆寺様式となっている、再建時の変更になったとされる説もある。
ところで法隆寺には寺院建築の基本建屋”七堂伽藍(金堂、講堂、経蔵、鐘楼、僧坊、食堂、塔)”が古代の姿のまま現存している唯一の寺だそうです。法隆寺には七堂伽藍のある西伽藍と聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮跡である東伽藍があります。この東伽藍にある夢殿はあまりにも有名で説明不要と思います。

南大門とバスガイド
新人バスガイドの研修



私の好きな風景 中門と五重塔

小学生の遠足



見事な東西の道路

奇跡の瞬間、観光客がいない



並び立つ金堂と五重塔



2層の屋根が見事な金堂



法隆寺の象徴 五重の塔 



学問や法要を行う講堂



八角円堂の夢殿

聖徳太子信仰の象徴



今日の一枚

回廊のエンタシスの柱



 

日本の古寺を歩く100選その64 融通念佛宗中本山 錦溪山 極楽寺

  • 2015.10.09 Friday
  • 06:47
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日本の古寺を歩く100選その64 融通念佛宗
錦溪山 極楽寺

住所 大阪府河内長野市古野町12−1
開基 聖徳太子
アクセス 南海高野線河内長野駅から徒歩10分

東高野街道沿いに立つ、聖徳太子創建の寺



 ここ錦溪山極楽寺は極楽寺だけでインターネットで調べると全国には沢山の極楽寺があります。錦溪山極楽寺は大阪府の東の外れ、河内長野市の西の高台にある寺です。平安時代中期には都の貴族達を初め多くの人が弘法大師の功徳を得るため高野山に参拝した。そのルートはいくつかあるが、その1つが東高野街道で、西高野街道との合流地点近くにある寺です。
寺の歴史は古く、聖徳太子が推古天皇の病気平癒を願い、杉の根元に涌く霊水を汲んで差し上げたところたちまち病気が平癒したので、薬師如来を刻んで本尊として庵(温泉寺)を建立したのが始まりとされている。その後1325年に後醍醐天皇の叡勅を奉じた融通念佛宗の中興の祖といわれる法明上人が新たに伽藍を建立したのが極楽寺です。
境内は河内長野市の西の高台にあり、今では境内にある”河内大仏”と呼ばれる大きな大仏があるので遠くからでもわかります。境内は高台にあるので坂道を登って行くのですが、まず目に付くのは立派な幼稚園です、田舎のお寺さんはどこも経営が苦しいようで副業が盛んなようです。最近”寺院消滅”という本が売れています、いつも書くことですが、入山料を取らない寺は大変だと思います。境内ですが幼稚園の自動車の駐車場の先に小さな山門があります、狭い境内に本堂、大仏様、鐘楼、お堂があるぐらいです。


幼稚園と門柱
幼稚園は寺の経営(学校法人極楽寺学園錦溪幼稚園)、門柱には融通大念佛宗六時別辻本極楽寺と



参道か駐車場か
奥に見えるのが山門



その山門

自転車、自動車気になりますね、田舎の寺仕方がないか


ブルーシートが気になる本堂



反対からですと自動車が
寺が修理中か



河内大仏の勇姿
奥に見えるは商売繁盛のお稲荷さん、商魂たくましい



鐘楼



なんのお堂?



今日の一枚






 

日本の古寺を歩く100選その63 融通念佛宗総本山 大源山  諸仏護念院 大念佛寺

  • 2015.10.08 Thursday
  • 07:01
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日本の古寺を歩く100選その63 融通念佛宗総本山
大源山 諸仏護念院 大念佛寺

住所 大阪府大阪市平野区平野上町1−7−26
開基 良忍
アクセス JR大和路線平野駅から徒歩5分

念仏は全員でとなえてこそ功徳がある
大阪最大の木造本堂を持つ、融通念佛宗の寺院



 ここ大念佛寺は融通念佛宗の総本山です、融通念佛宗の宗祖は聖応大師良忍です、良忍は比叡山で学んだが、学問の議論ばかりで、仏道を求めない比叡山に失望し、京都大原に隠棲する。時23歳です。大原では過酷な修行を続けて46歳の時、阿弥陀如来さまから融通念佛の要となる”1人一切人、一切人1人、1行一切行、一切行一行”というお告げと”十一尊天得如来の絵像”を授かる、これをもとに融通念佛宗を創始する。融通念佛宗は浄土仏教の浄土宗、浄土真宗とともに忘れてはならない宗です。ところが私は忘れていて十三宗派の最後になりました。
さて大念佛寺ですが、、鳥羽上皇の勅願で坂上田村麻呂の次男坂上広野の邸宅に建てられた修楽寺が始まりで、その後何回か荒廃・再建を繰り返し、江戸時代前期に第40世大通の時に諸堂が再建され、現在に至っている。
現在の境内には大阪府最大の木造本堂を初め、狭い境内の沢山お伽藍が並んでいます。ここ大念佛寺には五月のはじめ行われる”万部おねり(阿弥陀経を一万部読経し、菩薩に扮した僧たちが堂の外にかけられた橋を渡って本堂に向かい、極楽浄土から25菩薩来迎の模様を再現する行事)や”御回在”(十一尊天”得如来の掛け軸をもって檀家を回る)やさらに”大数珠くり”(大きな数珠を大勢で回す)と奇祭と呼ばれる行事があります。



扁額が光る山門
扁額は霊元天皇の皇女宝鏡寺宮の直筆



中から見た山門

両脇の壁落ち屋根は面白い



大阪隋一の木造建屋の本堂



大きさを強調する角度から本堂を



大楠と鐘楼
大楠は寺と同じ年代、簡素ではあるが風格のある鐘楼



境内のある諸堂

中央宝物殿、右手経蔵、左手納骨堂



研修道場らしい社務所と会館



万部おねりの渡り廊下



渡廊下を歩く菩薩

日本の古寺を歩く100選その62 黄檗宗別格地 東明山 興福寺 

  • 2015.10.07 Wednesday
  • 06:36
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日本の古寺を歩く100選その62 黄檗宗別格地
東明山 興福寺

住所 長崎県長崎市寺町4−32
アクセス JR長崎本線長崎駅から長崎軌道電車で公会堂前へそこから徒歩8分

隠元と二人の住職



 冊子の100選では黄檗宗の寺としては聖福寺がリストアップされているが、わたしは未参拝ですので同じ黄檗宗で長崎では”長崎4福寺(興福寺、崇福寺,福済寺,聖福寺)”の中で筆頭格で、隠元隆が住職を務めた興福寺を代行でアップします。というのは当時日本は鎖国時代で開国していたのは長だけで長崎には沢山の在留唐人が住んでいた。彼らは中国の出身地ごとに菩提寺をつくていたいたので、黄檗宗(当時の中国の臨済宗)の寺が多かったので、どうしてもアップして見たかった。
さて興福寺の歴史ですが、1629年の中國江蘇省出身の僧真円が現在の興福寺の場所に小庵を建立したのが始まりで、その後江蘇省・浙江省・江西省の出身の人が菩提寺として堂を建てたのが興福寺で、それぞれ中国から材料を持ち寄り中国風の堂宇にした。特に興福寺には高僧が多く、二代目の黙子如定は眼鏡橋を建造したことで有名で、3代目逸然性融は隠元隆の来日の奔走したことで知られ、隠元隆が来日した時は、一時住職を譲っている。さて寺ですが、先にも書きましたように檀家には浙江省や工蘇省の人が多いため”南京寺”ともいわれている。また山門が赤いことから”あか寺”ともいわれている。
寺ですが、眼鏡橋が架かる中島川の山腹にあり、川岸にある赤門をくぐると広場に出ます、広場を囲むように中国風の伽藍が並びます。左から鐘楼、媽祖堂(唐船の航海の安全の神)大雄宝殿、庫裏、三江会所門が有ります。三江会所門の中には中島聖堂遺構大学門や開山堂跡に中島聖堂もあります。ここの最大の見所は隠元隆の五言一行の書の石碑があることです。



”あか門”と呼ばれる山門



見事な造りの大雄寶殿
右下の隠元の五言一行の書の碑



その大雄寶殿と幡
港に唐船が入ったことを知らせる幡



媽祖堂
唐船の航海の安全を祀る堂



境内でひと気は目立つ鐘楼

左手が山門、右手が媽祖堂



三江会所門

江蘇省、江西省、浙江省の集会所の門、やはりお役所は怖かったようです



黄檗天井といわれるアーチ型天井



大雄寶殿内部の見事なランタン



唐人墓地

長崎特有の坂にある墓地



今日の一枚

長崎名物眼鏡橋




 

日本の古寺を歩く100選その61 黄檗宗総本山 黄檗山 萬福寺

  • 2015.10.06 Tuesday
  • 06:29
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 日本の古寺を歩く100選その61 黄檗宗総本山
黄檗山 萬福寺

住所 京都府宇治市五カ庄三番割34
開基 隠元隆
アクセス JRみやこ路線黄檗駅から徒歩5分
 
禅と念仏を融合させた中国臨済宗
明代の中華寺院を再現、京都のリトルチャイナ



 本日と明日は黄檗宗の寺をアップします、黄檗宗の宗祖は中国の像、隠元豆で有名な隠元隆です。黄檗宗は仏教十三宗派がほとんど鎌倉時代までに確立されたのに対して黄檗宗は江戸時代初期に登場している。本日アップする萬福寺は宗祖の隠元隆が徳川幕府4代徳川家綱から京都宇治に寺領を与えられた土地に建立した寺です。隠元隆は中国では臨済宗の重鎮として知られ、当時の日本は鎖国時代で、少しでも異国の文化を知るため再三の要請をして、初めて来日している。栄西が学んだ400年前の臨済宗からはその教えが違っていて、黄檗宗(新しい臨済宗)は坐禅をしながら念仏を唱える、座禅と念仏を融合した"念仏禅”といわれた。
さて萬福寺ですが、開基の隠元隆が故郷の黄檗山萬福寺を模して造られたといわれ、明代の中華風建築が広がる不思議な空間が黄檗寺寺院の特徴を持つ寺です。
その萬福寺に境内ですが、中国風の総門をくぐると右手に放生池があり、その先に禅寺らしい見事な三門が、三門の正面が天王殿(禅寺では仏殿)、その奥に大雄宝殿、さらに奥に法堂と一直線に並んでいます。これらの諸堂は回廊で結ばれている。とくに天王殿と大雄宝殿の間のロの字状に結ぶ回廊に沿って右側には鐘楼・伽藍堂・斉堂が、左手には対称の位置に禅堂・祖師堂・鼓楼が並ぶさまは見事です。


牌楼と呼ばれる中国式の総門



禅寺と同じ様式の三門



禅寺の仏殿に相当する天王殿

中の布袋さんはユーモラス



チーク材で造られた大雄宝殿

この形の見事さは書きようがない、羽を広げた軒、丸窓と



卍の勾欄のある法堂



その卍文の勾欄



奥に見える巨大な魚型の開ぱん(木編に邦)



鉄眼一切経版が納められている子院

見事な版です、なお鉄眼とは鉄眼禅師のこと



普茶料理を食べさせる院

日本の古寺を歩く100選その60 時宗 黄台山 長楽寺

  • 2015.10.05 Monday
  • 06:17
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日本の古寺を歩く100選その60 時宗
黄台山 長楽寺

住所 京都府京都市東山区円山町626
開基 最澄
アクセス 京阪電鉄祇園四条駅から徒歩20分

不信心でも救われる遊行の宗派
四季折々の花に包まれ、平家の悲運を伝える



 ここ長楽寺は平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった建礼門院徳子が出家した寺です。寺の歴史ですが、伝教大師最澄が比叡山の別院として創建したのが始まりとされている。昔は円山公園をはじめ、大谷祖廟の境内をを含む広大な寺院であったようです。大谷祖廟建設時に幕命によって境内地は割かれ、さら明治時代に円山公園に境内地は編入され、今の広さになった。なお室町時代に時宗霊山派を開いた国阿により時宗に改宗している。
ところで時宗ですが、一遍上人が宗祖で自らは宗派も開かず、寺院も持たず、著述も残さず全国を遊行(布教の旅)を続けた人です。ところで時宗の教えは浄土宗が阿弥陀仏を信じ“南無阿弥陀仏”を唱えることで救われる説いたのに対して、時宗は信じなくてもよいといというのが最大の特徴です。時宗のことを“念仏宗”ともいい“一人の念仏が万人の念仏と融合する”という大念仏を説いている。
さて長楽寺ですが円山公園を通り、大谷祖廟の塀沿いに狭い灯籠のある参道を進むと小さいながら古刹らしい山門が見えます。山門をくぐり石段を登ると見事な庫裏に受け付け(入山料)があり、さらに先に少し長い石段の先に本堂があります。本堂の横には建礼門院塔と呼ばれる十一重石塔があり、手前には除夜の鐘でも有名な鐘楼があります。その奥には滝行で有名な“平安の滝”があります。
ここ長楽寺の見所は紅葉で時雨楓という独特のモミジがあります、そのため文人墨客が多く訪れています、その中に西行法師や頼山陽がいます。頼山陽の歌に”時雨をいとうから傘の濡れてもみじの長楽寺”というのがあるようです。一番有名なのは書院に庭園で相阿弥作の庭園で、銀閣寺の庭園の試作として造られたといわれています。


大谷祖廟の下にある参道



名板が光り輝く山門



モミジの中の本堂



時雨楓と鐘楼

バックは本堂



時雨楓と客殿



建礼門院塔



頼山陽の墓

文人墨客の中でもこよなく長楽寺を愛した頼山陽



滝行を行う平安の滝



相阿弥作の庭



今日の一枚

参道のモミジと灯籠


 

日本の古寺を歩く100選その59 日蓮宗 経栄山 題経寺

  • 2015.10.04 Sunday
  • 06:14
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日本の古寺を歩く100選その59 日蓮宗
経栄山 題経寺

住所 東京都葛飾区柴又7−10−3
開基 禅那院日忠、題経院日栄
アクセス 京成金町線柴又駅から徒歩5分

映画の寅さんゆかりの、市民に親しまれた寺院



 ここ題経寺は柴又帝釈天の名で呼ばれ、最近では映画”男はつらいよ”の舞台になり、一躍有名になった。しかし最近は映画シリーズが終わり、下火になっているとか。そんな題経寺の歴史ですが、江戸時代の初期千葉県の法華経寺の住職であった禅那院日忠と題経院日栄により開創されている。寺が栄えたのは第9世住職日敬の頃で、それまで行方不明だった本尊(日蓮手彫りの帝釈天の板本尊)、が軒下で発見され、その見つかった日がたまたま庚申の日であったことから,庚申の縁日が始まり寺は栄えて行ったようです。またその時期天明の飢饉があって、日敬自ら板本尊を背負って町を歩き帝釈天の信仰を深めたとされる。
さてここ題経寺ですが、京成金町線の柴又駅を降りると”フーテンの寅さん=渥美清”の銅像が迎えてくれます。そこから100m以上続く参道は昔の門前町の風情を残す、映画でおなじみの道で、倍賞千恵子は現れませんが”だんご屋高木本舗”もあります。その参道の突き当りが二天門でここでも寺男佐藤蛾次郎は迎えてくれませんが、立派な二天門が迎えてくれます。境内に入りますと狭い境内ですが正面に帝釈堂と本堂があります、帝釈堂の前には見事な瑞龍の松があります。
さてここ題経寺の見所は1つが帝釈堂の内殿の壁一面に見事な彫刻がほどこされた彫刻ギャラリーがあること、さらの本堂裏に回廊で囲われた見事な庭園があることです。2つ目の見所は寺から少し足を延ばすと江戸川で、かの有名な"矢切りの渡し”があります。


柴又駅前の寅さんの像
記念撮影で人場絶えない、後ろから



帝釈天参道
昔ながらの門前町、鰻屋は有名



だんご屋高木本舗



蛾次郎が出てきそうな二天門


帝釈堂と瑞龍の松



彫刻ギャラリー



帝釈堂の内殿の上段の間



回廊のある風景



本堂庭園と客殿



今日の一枚
矢切りの渡しの風景、歌がヒットしたので宣伝のためにある渡し?


 

日本の古寺を歩く100選その58 日蓮宗北陸本山 金栄山 妙成寺

  • 2015.10.03 Saturday
  • 05:36
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日本の古寺を歩く100選その58 日蓮宗北陸本山 
金栄山 妙成寺

住所 石川県羽咋市滝谷町ヨー1
開基 日像上人
アクセス JR七尾線羽咋駅からタクシー30分

加賀前田家ゆかりの寺、五重塔は北陸随一



 ここ妙成寺のある羽咋市は私にとって思い出の地です、仕事の関係も含めて何回も来ています。その思い出の中でも安倍総理大臣の辞職会見を妙成寺へのタクシーの中で聞いたことです。そのため丘の上からの絶景を撮影し忘れて再度訪問する羽目になりました。
さて寺の歴史ですが、この寺を開いたのは日乗上人(元の名は満蔵法印)ですが、もともとは真言宗の寺大平寺の僧でしたが、日蓮の孫弟子日像上人のよって折伏(対話によって日蓮の仏法を伝えること)を受け、大平寺を去り妙成寺を建立している。その時初代の住職には日像上人を据えている、自分は二代目になっている。その妙成寺を支えたのが前田家で、熱心な日蓮宗の帰依者だった初代藩主前田利家の側室で利常の生母寿福院の菩提寺です。そのため利常から5代目までの7年間に今に残る10棟の伽藍が造営された。
その境内ですが、参道を進むと古色蒼然[雪国に伽藍は皆同じ)とした二王門(ここは仁王門ではなく二王門)があります。正面には
五重塔が見えるはずですが木の陰でした。手前には大きな広場があり、周囲に伽藍が並んでいます。右手正面には本堂、その左手に三光堂、右手には祖師堂、本堂の対面には開山堂があります。そのほか広場の周囲には日像上人の像、鐘楼、三十番神堂拝殿等がありあます。
ところでここ妙成寺の最大の見所は書院から庭越しに見る五重塔です、この五重塔は昔物見台の代わりをしていたようです。そのため丘の上から見ると五重塔だけ突き出て見えます。しかし私の最大の見所は長谷川等伯の信春時代の絵がここにあることです、涅槃図といいますが見事な絵です、これを見て等伯が好きになりあちらこちを見て歩いています。


日本海を背に立つ五重塔



風雪に耐えた仁王門でなく二王門
阿形と吽形の二王尊が通常とは逆


京都建仁寺流の本堂


こちらも見事な祖師堂



三十番神堂
日本の神々30柱を祀る


回廊で結ばれた鐘楼


寿福院(利常の生母、利家の側室)の墓



書院から見る五重塔



今日の一枚
冊子から転写、長谷川等伯の信春時代の絵”涅槃図”




 

日本の古寺を歩く100選その57 日蓮宗総本山 身延山 久遠寺後編

  • 2015.10.02 Friday
  • 06:46
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 日本の古寺を歩く100選その57 日蓮宗総本山
身延山 久遠寺後編

日蓮聖人が晩年を過ごした法華経の聖地



 ここ久遠寺は久遠寺というより身延山といった方が通りが良い、日蓮宗の総本山です。寺は山梨県南部の標高1153メートルの山、身延山にあり山全体がお寺です。眼下に富士川が流れ、山並みの向こうには富士山が見える風光明媚なところです。また晴れた日には遠くに日蓮の故郷房総半島が見えるようです。
さて寺の歴史ですが、念仏者や鎌倉幕府から弾圧を受けた宗祖日蓮の波乱万丈の人生の晩年を過ごしたのが、甲斐の国の地頭南部実長の招きにより1274年に入山した身延山西谷の地に庵を結んだのが最初で、日蓮はここで著述と門弟の教育を行った。寺はその後西谷が手狭になり、1475年に十世の日報上人の手で、現在地の身延山中腹に伽藍を移設している。その後甲斐の国を治めた武田家と徳川幕府の保護で東日本を代表する寺院となる。しかし明治の大火で伽藍は焼失する。
現在の伽藍はその後の復興で伽藍の中心は身延山の中腹で山頂には奥の院(恩親閣)があり、また発祥の地西谷にも庵の跡や祖廟があります。
さて伽藍ですが、麓の門前町の商店街の入口の総門、出口に見事な二門(ここでは三門とは言わない)があり、その先に天空に登るといわれる、高さ104メートル、287段の急な石段があり、菩提梯といわれている。その先の山の中腹に広い広場があり、見事な堂宇が並んでいます。正面が本堂、隣りが祖師堂、さらに隣りに御真骨堂、仏殿、まがって書院、大客殿と並びます。これらの伽藍の並ぶ一帯を“棲神の地”と呼ぶそうです。さらに広場には鐘楼、五重塔等いろいろの伽藍があります。さらに奥の院(本堂横からロープウエーで登る)には日蓮お手植えの杉の巨木の間の階段を登ると由緒ありそうな仁王門とその奥に祖師堂があります。祖師堂の裏手から少し山を登ると前方に南アルプスの勇姿が見られます。
ところで久遠寺の最大の見所は桜で、境内のあちらこちらで見事な桜が見られますが、日本枝垂れ桜10選に入っている広場にある祖師堂前の枝垂れはそれは見事です。本日は昨日アップできなかった写真を


日本10選の枝垂れ桜
祖師堂の前にある



開基堂と枝垂れ桜



西谷の桜の巨木



日蓮お手植えの杉の巨木



風格のある仏殿



珍しい建物 水鳴閣



大鐘と水屋(手洗場)



日蓮の像
奥の院への石段下に



今日の一枚
奥の院からの風景、眼下は富士川、稜線の奥には富士山が見えるはずだった



 

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