名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その5 朝倉義景館跡

  • 2015.05.19 Tuesday
  • 06:05
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 昨日アップした庭園や舘は高台にありますが、本日アップする朝倉義景館跡は高台から見下ろす平地にあります。ここも昨日アップした館や庭園同様基礎石と庭園の石組があるのみです。しかし義景の館跡には義景を弔うため義景の墓所や舘の入口に当たるところには唐門が有ります。この唐門は義景を弔うために後に建てた松雲院の表門だったようですが、一説には豊臣秀吉が義景を弔うため伏見城の門を贈ったとも言われています。この唐門は遺跡のシンボルとして扱われています。

唐門の風景



中から見た唐門
門脇の木は桜、桜咲く時期のこの風景がベストだそうです



唐門から見た義景館跡



高台から見た義景館跡



同じ風景を横から



舘の庭園跡

石組が見事



義景の墓所



こちらは歴代墓?



遠くから見た館跡

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その4 朝倉氏の庭園

  • 2015.05.18 Monday
  • 05:59
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 本日は上城戸から一乗谷の東側に広がる朝倉氏館跡の風景をアップします。ところでこの館跡は道案内によれば復元町並のパーキングから一乗谷川のかかる橋を渡り、高台にある諏訪館跡庭園、中の御殿跡、湯殿跡庭園を見て平地にある朝倉義景館跡を巡るようになっていますが、そのほかに英林塚(朝倉考景墓)、物見台、南陽寺跡庭園があったようです。
さてその中で本日は諏訪館跡庭園(朝倉義景夫人の屋敷跡)、中の御殿(義景の母高徳院の居館)、湯殿跡庭園(一乗谷で最も古い4代孝景時の庭園)風景をアップします。


一乗谷川と東側への橋



朝倉氏の館跡が広がる山裾


諏訪館跡庭園


おなじく



中の御殿跡への門跡



中の御殿の居館跡



中の御殿跡から見た復元町並み



湯殿跡庭園


おなじく



 

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その3 復元地区

  • 2015.05.17 Sunday
  • 05:44
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 本日は下城戸から上城戸までの一乗谷の西側に広がる復元地区の様子をアップします。城主である朝倉氏の館跡は東側にありますので上城戸からの帰りに散策しました。その様子は明日。
本日アップする西側には土塁や道路、便所跡、井戸跡等が平面で表されている平面復元地区と塀に囲まれた町並みを再現した復元町並地区があります。平面復元地区の山麓には寺院が並んでいたようです、また町並復元地区は真中の道路を挟んで山側に重臣の屋敷が川側に武家や庶民の町並みがあったようです。何軒か昔の町屋が再現されています。


計画的に作られた道



屋敷跡の様子



おなじく



復元町並みの入口

本当にこんな門がったのだろうか



町並みの中央の道

右手が重臣の屋敷、左手が武家や庶民の家



重臣屋敷の中



庶民の家の中



店屋が並ぶ復元町並み



モデルをお願いして

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その2(下城戸、上城戸)

  • 2015.05.16 Saturday
  • 06:56
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 本日は一乗谷朝倉氏遺跡は東西400m、南北2.5劼琉貍菽川沿いに構築された中世の計画都市です。その一乗谷の東西の幅の狭いところに土塁や濠からなる木戸口が北が下城戸、南が上城戸で、城の大手門、搦め手門に相当するようです。城戸の間に都市が築かれ、一乗谷川を挟んで東側に朝倉氏の館、南側に武家や町民の屋敷が並ぶ町並みだったようです、さらに西側山手には寺院が並んでいます。
発掘跡はさながらイタリアポンペイの火山灰に埋もれた遺跡跡を見るようです、この遺跡跡は明日、本日は城戸の様子を


下城戸跡にある看板



大手門の枡形を思わせる石垣



土塁と濠



反対側は



道から見た風景



道沿いの石標



道沿いの風景

ここは桜の花がたくさんあったが、この通り


途中にある旅籠



上城戸の風景

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その1 イントロ

  • 2015.05.15 Friday
  • 06:09
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 本日からは福井県福井市にある一乗谷朝倉氏遺跡の風景をアップします、実はここを訪れたのは名城を歩くで一乗谷城を歩く予定でしたが、一乗谷朝倉氏遺跡資料館で一乗谷城への道を確認した時やめときなさいと言われた。それよりは朝倉氏遺跡を歩いたほうが見所があるといわれたました。一乗谷城は標高450mの山の上にあり,道も悪く石垣が残るのみですといわれた。そんなわけで本日からその一乗谷で最近発掘された朝倉氏遺跡を歩いた様子をアップします。
朝倉氏は兵庫県丹波の出身ですが、主君に斯波氏と越前に入国し、応仁の乱の活躍で、一乗谷に北陸の京都と呼ばれる都市を建設したが織田信長の軍勢に敗れ、城下町は灰燼に帰した。その城下町の遺跡が昭和42年に発掘され今は復元が行われている。一乗谷川に沿いの下城戸から上城戸までの2.5劼隆屬飽篝廚賄精澆靴討い泙后
福井駅から越美北線(通称九頭竜湖線)で一乗谷駅へそこから下城戸までは10分ぐらいです、本日はそこまでの風景を


一乗谷朝倉遺跡の地図


田圃の中にある一乗谷駅



駅前の国道沿いにある一乗谷朝倉遺跡資料館
役場かと思いきや資料館、立派です



国道沿い資料館の裏を流れる足羽川
上流に九頭竜湖が、下流は桜の名所



足羽川にかかる九頭竜線の鉄橋

この下で一乗谷川と合流、一乗谷川は足羽川の支流



九頭竜湖へ道
こんな隧道や川底の道が続く



国道から一乗谷朝倉遺跡への分かれ道



一乗谷川と一乗谷城への橋

この橋から登るようです、最初の地図を見ればすすめられないのがわかる

名城を歩く 越前丸岡城その2(天守)

  • 2015.05.14 Thursday
  • 06:17
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 本日は越前丸岡城の天守をアップします、この天守昨日も書きましたが現存する天守では日本最古の天守です、野面積の石垣の上に黒板塀の城は感動に値します、さらに写真はないですが、城の内部は通し柱がなく、1階の柱が2,3階を支えている構造(この構造は備中松山城も)です。また天守最上階に登るには階段が急というより垂直に近く、ロープを使って登ります、年寄りには厳しい天守です。なおここ丸岡城で少し紹介したいのが、日本一短い手紙のことです。境内に“一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”の碑があります。これは鬼作左と呼ばれたのちの城主松平忠直が陣中から妻にあてた手紙の内容です。このことに因み、丸岡文化財団は毎年“日本一短い手紙コンクール”を開催しています。今年のお題は“うた”だそうです。

野面積の石垣の上に立つ黒板塀の城
この角度が好きです



左正面から
野面積の石垣、石落し,破風の屋根、高欄、突あげ戸等城の面白さが



見事な石段のある正面



天守の最上階からの眺め
突きあげ戸と高欄を



天守から見た坂井平野

北陸一の米どころ、遠くには三国、東尋坊が



おなじく
雪をかぶった白山連峰が見えるはず



天守から見た霞ケ城公園



昨年の日本一短い手紙コンクールの入賞作

名城を歩く 越前丸岡城その1(本丸と霞ケ城公園)

  • 2015.05.13 Wednesday
  • 06:14
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 本日と明日は福井県坂井市にある越前丸岡城をアップします、ここ越前丸岡城は創建当時の天守がある城の1つですが、実際は昭和23年の福井大震災で倒壊し、修復再建されています。天守は現存する天守では最古のものといわれているだけはあります。
城は柴田勝家が織田信長の一向一揆の平定の恩賞としてもらった越前の国に、甥の柴田勝豊に建てさせた城です。創建当時は大きな城でしたが大正から昭和にかけて堀が埋められ、本丸と天守とわずかに石垣だけの残る城です。今は城は公園(霞ケ城公園)になっています、本日は公園の風景と本丸の風景をアップします。


在りし日の丸岡城



霞ケ城公園から天守

正面の建屋は資料館



おなじく



資料館と登城階段



霞ケ城公園の風景



僅かに残る石垣



天守のある本丸



おなじく



天守建設で人身御供になったお静の供養塔

自分の命と引き換えに人身御供となり、息子の士官を願うも叶わずと書いてあった


 

名城を歩く 備中松山城最終回 備中の小京都高梁市

  • 2015.05.12 Tuesday
  • 06:09
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 ここ備中松山城のある高梁市は“備中の小京都”と呼ばれています,清流高梁川が流れ,四方山に囲まれた盆地に名城備中松山城をもつ城下町です。先に紹介した武家屋敷跡のある石矢町ふるさと村をはじめ、日本道百選にも選ばれた紺屋川美観地区、また映画のロケ地にもなる寺町街等絵になる風景が存在します。明治時代の建物高梁キリスト教会もありますが、最近では吉備国際大学が出来、学生町としても脚光を浴びています。我が故郷岡山ですので宣伝を。


映画のロケ地にもなった寺



桜を中心に



同じところにある別の寺

鳥居がアクセント



さらに上にある寺へ



山手の住宅街



高梁キリスト教会



紺屋川の桜並木



おなじく紺屋川美観地区

少し写真が悪い、地元の方ごめんなさい



高梁駅から備中松山城を

丁度列車が、左手山頂がお城

 

名城を歩く 備中松山城その9 頼久寺境内の珍品

  • 2015.05.11 Monday
  • 06:41
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 本日は頼久寺の境内で見つけた珍しい石仏を紹介します、それは十二支とお坊さんの石像です。地元に人が折角来たのだから時間があるなら十二支を探してみなさいと言われた。時間を気にしながら探し当てました。それはかわいい石仏です。撮影には面白くと気を使いました。

子(ね)
お坊さんの肩に



丑(うし)
お坊さんの表情も



寅(とら)



卯(う)



辰(たつ)

たつのみが実際に存在しない動物、探すのに苦労した



巳(み)

この写真では見ずらいが背中に頭が



午(うま)



未(ひつじ)



申(さる)



酉(とり)



戌(いぬ)


亥(い)

名城を歩く 備中松山城その8 頼久寺庭園

  • 2015.05.10 Sunday
  • 05:42
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 ここ頼久寺の庭園は小堀遠州が頼久寺を仮の館としたとき、作庭したといわれる小堀遠州初期の作庭です。蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景に白砂を敷いた中央に鶴島、後方に亀島を置いた低い築山状の島に石を配置した石組が見事な庭です。
さらに書院の右手の山裾に沿って、サツキの大刈りこみで青海波を表現した庭です、庭全体はそんなに大きくはなく、書院からの眺望は素敵です。


庫裏から見た書院



書院からの眺め



おなじく



書院から庫裏を



白砂と石畳


鶴島、亀島と築山
奥に見えるのが亀島、手前は鶴島



サツキの大刈りこみ



鶴島と築山

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