ぶらり大阪まち歩き最終回 暗越奈良街道コース の最終

  • 2013.10.01 Tuesday
  • 08:25
  本日は長い間アップしてきた“ぶらり大阪まち歩き”も最終回です、このシリーズは別の角度でまたアップします。さてこのシリーズ最終回は暗越奈良街道の最終ですが、最終にふさわしいところではなかった。今里筋のシルクロードの終着点からJR玉造駅に向かうわけですが、これといった見るところもなく平野川を渡ります、そこで出会うのが平安の氏神を祀る八坂神社です。この八坂神社の参道は暗越奈良街道から続いていたようです、いまはないですが街道沿いに鳥居があったそうです。

暗越奈良街道沿いにある鳥居


平安時代の氏神を祀った八坂神社
創建は藤原道長がこの地に別荘を建てて氏神を祀ったのが起こりとされている


白馬が奉納されている神馬舎


高麗橋から一里の道標
明治35年の字が、街道の八坂神社入口に


暗越奈良街道の銘板


大正初期創業の洋食店



ぶらり大阪まち歩き 暗越奈良街道コース4 暗越奈良街道メイン

  • 2013.09.30 Monday
  • 08:14
  本日は暗越街道コースのメインをアップします、堺屋太一氏のシルクロード終着点の銘板のある今里筋の角から来た道を少し下がると昔の暗越街道の名残の旅宿と民家があります。
昔はユーラシヤ大陸を横断し、インド、中国を経て海路で大阪へ人と物資が運ばれたと堺屋太一は書いています。その人や物資がここ暗越街道を通って奈良に運ばれた、その中には正倉院の貴重な品もあっただろうと。
堺屋太一氏の銘板がある交差点には石標でいろんな方面にここから行っていたことが書かれています。特に伊勢街道の出発点であったことはお伊勢参りの拠点でもあったようです。

堺屋太一氏の銘板
ここがシルクロードの終着点であることが記されています


奈良三条通の文字が


奈良尼ヶ辻の文字が


昔ながらの通りにある旅宿


同じく昔ながらの民家


道端の石標



ぶらり大阪まち歩き 暗越奈良街道3 聖徳太子創建の妙法寺

  • 2013.09.29 Sunday
  • 07:16
  本日は暗越奈良街道沿いにある古刹の風景をアップします、1つは聖徳太子創建が伝えられる妙法寺で万葉集の現代語訳で知られ、国学の発展に尽力した契沖が1679年から1690年まで住職を務められた寺です、境内は大阪府顕彰史跡に指定されている。もう1つはすぐそばにある熊野大神宮です、用明天皇2年創建といわれ、歴史の古い神社で、旧今里村の氏神です。由緒書きには“用明天皇2年、厩戸皇子の四天王寺を浪速玉造の岸に建立せれた時〜”と書かれているそうで創建に聖徳太子が係わっているようです。

火袋式道標
道標には“左
ならいせ道、右きしのどう、くはんぜおん、志ぎさん 八尾久宝寺 道 文化3年丙寅猛春 施主江戸積釘周屋世話人当村弥三七”と書かれているようです


熊野天満宮の鳥居と本殿


中の鳥居
17世紀以降の大阪城の城代は就任と巡視の際には必ず立ち寄ったそうです


妙法寺の山門


古刹らしい雰囲気の本殿


契沖の遺跡

ぶらり大阪まち歩き 暗越奈良街道コース2 昔ながらの風景

  • 2013.09.28 Saturday
  • 08:56
  本日は暗越奈良街道(本来はJR玉造駅から街道はありますが、今回はJR鶴橋から途中で暗越街道にであいます)に至る昔ながらの商店街ではないですが店屋が並ぶ通りで見かけた珍しい風景と昔軍需工場のあったあたりを歩きました。
町中のハイキングにはこのような風景に出合うことが楽しみですが写真を撮るのは注意が必要です。やはり他人の家や人が入ることがあり注意しています、アップ時には気を付けていますが気にはなります。

短いですがアーケード街も
ここは俗にいうシャッター街でした


商店街にあったレトロな散髪店
ハイキングの写真撮影は逆光でも仕方なし、この散髪屋のすりガラスの窓は見事でした


引いて撮ると


防火バケツが並ぶ家


丸窓のある家


昔は芸能人が住んでいた長屋
このあたり一帯は多くの芸能人が住んでいたそうです、このような長屋が多くある


赤レンガの倉庫
昔はセルドイロの工場、このあたりには何軒かあったようです、煙突は失敗したときの爆風よけ



旧日本海軍指定のボタン工場
セルドイロの技術を生かした工場が周囲には何軒かったそうです



ぶらり大阪まち歩き最終コース 暗越奈良街道コース 比賣許曾神社

  • 2013.09.27 Friday
  • 09:32

  本日からは“ぶらり大阪まち歩き”の最終コース“暗越奈良街道コース”をあっぷします、夏の間に撮った写真も色あせてきますが本コースが最終ですので続けてあっぷします。
本コースはJR環状線鶴橋駅から隣の駅玉造駅までの周遊コースで4.7km1時間37分のコースです。このコースは玉造から奈良の南円堂までを直線で結ぶ暗越奈良街道を通ります、生駒山の暗峠を越すことから名前がついています。平安時代は渡来人もこの街道を通って奈良に向ったようです。
今はこの出発点が少し北により高麗橋が起点のようです。
さてこのコースは昔賑わった名残を嗅ぎながら歩くコースです、まずは2千年の時を刻む太古の神社を訪ねます。

今回の歩くコース
好評につき地図を載せます、今まではJRの冊子につき遠慮


道を塞ぐようにある鳥居


比賣許曾神社
第12代垂任天皇時代の建てられた、2千年の歴史を刻む太古の神社



胞衣塚鶴の橋の跡の碑
比賣許曾神社ゆかりの大小橋命の胞衣を祀る、いまはここに植えられた柳が子供の夜泣きを鎮める事からよな塚とも言われているそうです。


鶴の橋の下流にあった亀の橋の碑


実はこんなところに
今回のハイキングの面白さです


平野川またの名を百済川


平野川にかかる南辨天橋
後ろの風景が、古い長屋とマンション

ぶらり大阪まち歩き 野田・福島最終回 聖天通商店街を歩く

  • 2013.09.26 Thursday
  • 09:06
  本日は野田・福島コースの最終回として、聖天通商店街(この中には福島聖天通りを含む)を通り、大阪環状線JR福島駅に向かいました。この通りは古い商店街にはシャッター街が多いですが、この通りは元気です。地元の人曰くいろいろのイベントで町興しをしているとのことです。その典型的な例が福島聖天通商店街には聖天さんといわれる福島聖天了徳院があり、聖天さんに因んで“売れても占い商店街”と銘打って占いの館があります、それも1件や2軒ではありません。
ここ聖天通商店街の見所は先に書きました福島聖天了徳院です、福島三天神社の中と上が一緒になったところです。境内はカキツバタの名所で松尾芭蕉も訪れて句を残しています。
なお聖天さんは“歓喜天”をお祀利して、お祈りをすれば、富を与えて、男女仲睦ましくし、子宝に恵まれるといわれている。

福島地区の地図


聖天通商店街のの風景
うれても占い商店街の看板も


占いの館


福島聖天了徳院の鳥居


建築意匠の丸角様式の山門


山門と本殿の間の鳥居


本殿


ぶらり大阪まち歩き 野田・福島コース5 野田藤発祥の地

  • 2013.09.25 Wednesday
  • 08:49
  本日は大阪市中央卸売市場から国道を渡り福島地区に至りました。ここには昔吉野の桜と並んで賞賛された野田藤が咲き、足利義詮、豊臣秀吉、千利休が当地を訪れたそうですが、一時衰退したが最近有志の努力で復活し、本日アップする下福島公園にも植樹されています。公園の一角には野田藤ゆかりの旧家、藤邸が復元されています。
本日はその下福島公園とともに江戸時代にあったとされる福島三天神社の1つ天神社(下福島天満宮)をあっぷします。三天神社のうち中之天神社は戦争で焼失し、上之天神(現福島天神・・明日アップ)に吸収された。
ここ天神社は近くに船着場があり、菅原道真が太宰府に流されるとき立ち寄り安全祈願をしたようです。

天神社(下福島天神)
境内にママチャリが多い、次の写真を


山門からの天神社
お寺さんはどこも維持に苦労、幼稚園を併設するところが多い


下福島公園


植樹された野田藤


最近こんな風景が


福島天満宮に向かう途中の風景


ぶらり大阪まち歩き 野田・福島コース4 大阪市中央卸売市場

  • 2013.09.24 Tuesday
  • 08:33
  本日は野田商店街の街並みを抜け安治川沿いにある大阪市中央卸売市場を見学しました、但しここの見学は予約が必要で魚市場は見ることはできませんでした。青果市場のみ食事をした店の計らいで少しのみ見学できました。
ここ大阪市中央卸売市場には東京の築地市場のように場外市場がなく庶民は買うことが出来ません。市場の中に卸売の店があり、そこで小売り業者の人が大量に買って帰る方式です。大阪難波に木津市場というのがあり、中央市場から買い付け、また小売り業者に売る店もあります。
さてここ大阪市中央卸売市場に入るには野田商店街から中央市場の横の道を国道9号まで戻らねば中央入口には行くことはできません。

国道9号に入口にある標識


市場のメイン入口
2階が野菜市場、1階が魚市場


青果市場のセリ風景
魚市場の奥で野田商店街を出たところの近くにある


市場の中にある卸商店


商品が積まれた通路をゆくターレット



場外市場の風景


ざこば朝市の風景
安治川沿いの通路で奇数月の第4日曜日に行われる


ぶらり大阪まち歩き 野田・福島コース3 昭和の雰囲気ある野田商店街

  • 2013.09.23 Monday
  • 08:49
  日は国道29号線を渡って一直線に伸びる野田商店街の風景をアップします。この通りと安治川の間にあるのが明日アップする大阪市中央卸売市場です、さて野田の商店街ですが、市内にありながら戦火の被害が少なかった地域で、町並みに昭和の雰囲気(冊子の表現、私は昭和の町並みは知らない人間です)を残すところ、卯建の家、レトロな看板、狭い路地、街角には地蔵尊が立つ。
また大坂市中央卸売市場が近いからか、商店街の中をターレット(正式にはターレット・トラック)が走っています。

昭和にタイムスリップした風景



その代表的な建物



卯建の上がる建屋



時計のあるポール



路地にある神社


階段のある路地


ターレット

ぶらり大阪まち歩き 野田・福島コース2 野田恵美須神社周辺

  • 2013.09.22 Sunday
  • 06:12
  本日は野田御坊からすぐ近くにある野田恵美須神社を中心にアップします。野田恵美須神社は事代主大神・天照皇大神、八幡大神の三大神を祀る、特に事代主大神は恵美須様のことで。昔このあたり一帯が大阪湾に浮かぶ島であったことをうかがわせる。このほかに建石に“ゑみすのみや”“永久三乙未年3月”の文字があり、平安時代にすでに建立されていたことがわかる。また狛犬には昔漁師であった人の名前と漁法が記されている。
さらに近くにある圓満寺には本願寺の十代住職證如上人が野田城を訪れた時、細川晴元の軍勢の襲われた、野田の村民が楯になって救ったとされ“二十一人討死御書披露”の碑があり、近くには石標もあります。

恵美須神社の石の鳥居
この近くには芝居小屋があった証拠の灯籠があったのですが、写真を写すのを忘れた


恵美須神社の本殿
狛犬ならぬ、イグアナのごとき


境内にある神輿や地車の倉庫


東門にある狛犬
台座に“かち網中”とあるのはかち(歩行)網魚のことで、下にその仲間の名前が

昔懐かしいヱビス薬局
恵美須神社の裏通りにあり、虫籠窓に哀愁を感じ、軟膏“親タスケ”にも


圓満寺
21人の遺志を後世に伝える“二十一討死御書御披露”の石碑がある寺



二十一人討死の碑
圓満寺の近くにある

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