京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺最終回 玉の輿神社として有名な今宮神社

  • 2017.03.01 Wednesday
  • 06:17

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京都歴史探訪15

戦国大名ゆかりの寺大徳寺最終回

 

玉の輿神社として有名な今宮神社

 

 

 本日は玉の輿神社として有名な今宮神社をアップします。というのは西陣の八百屋の娘から将軍綱吉の生母となった桂昌院が今宮神社をこよなく愛したこと名がついたようです。境内には桂昌院の像があります。

寺は1001年(長保3年)平安京に疫病が流行したとき疫神を祀り、3柱の神殿を造営したのがはじまりで、応仁の乱や大火で度々焼失しているが豊臣秀吉の寄進で再建されている。特に先述の桂昌院の支援は大きいようです。境内には織田信長を祀る稲荷社(織田稲荷社)もあります。

 

見事な楼門

 

 

舞殿と拝殿?

 

 

その拝殿

 

 

正面から社殿

 

 

横から社殿を

建也は正面からといわれるが、正面からはわからない見事さ

 

 

社殿と続きにある疫社

 

 

織田稲荷社(紫野神社)

 

 

摂社織姫社

 

 

見事な絵馬殿

 

 

今日の一枚

桂昌院の像

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その11 あぶり餅で有名な一文字和輔

  • 2017.02.28 Tuesday
  • 06:33

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戦国大名ゆかりの寺‟大徳寺”その11

 

‟あぶり餅で有名な一文字和輔

 

 本日は西暦1000年(長保2年)から続く老舗中の老舗あぶり餅で有名な一文字和輔(一和)をアップします。ところであぶり餅とはきな粉をまぶした親指大の餅を竹串の差し、炭火であぶった後、白味噌のタレをぬった道菓子です。

ここ一文字や和輔は大徳寺の中を通る船岡東通から北に抜け今宮神社駐車場から今宮神社東門に入り手前にあります。道を挟んで反対側に‟かざりや”という同じあぶり餅を売る店があります。店先に赤い座布団の置かれた床几のある風情にある店ですが、この日は休日でした。いつも人が多く写真は撮れないのでこの日はと思ったが床几がない。

 

今宮神社裏参道入口

 

 

参道から見た今宮神社東門

右手の建屋が一文字和輔

 

 

その東門

 

 

東門から見た参道

左手が一文字和輔、右手が‟あぶりや”

 

 

反対(参道)から見ると

赤い座布団のある床几があれば

 

 

一文字和輔

 

‟あぶりや”

 

‟あぶりや”の離れ

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの寺大徳寺その10 写真撮影禁止の大仙院、芳春院、黄梅院

  • 2017.02.27 Monday
  • 06:44

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戦国大名ゆかりの大徳寺その10

 

写真撮影禁止の大仙院、芳春院、黄梅院

 

 本日は写真撮影禁止の塔頭の外観のみですがアップします。。いずれも大徳寺塔頭では有名な院です。なぜ禁止なのか、室内が禁止ならわかるが。ところで大仙院に至っては大徳寺76世住職古岳宗旦によって創建され、大徳寺北派の本庵です。しかも年中公開の院です、現在の住職は尾関宗圓は名物住職です、この派に属するところはすべて撮影禁止で大徳寺以外もです。

次に芳春院は前田利家夫人芳春院(まつ)によって創建された前田家の菩提寺です。庭にある秀湖閣は二重の楼閣を持つ金閣、銀閣、飛雲閣と並ぶ4閣の一つです。最後に黄梅院は信長が父信秀の追善供養のため秀吉に命じて創建した寺です。信長 の死後秀吉により本堂、唐門、小早川隆景により庫裏と表門が改修されている。特に院内に千利休ゆかりの品がたくさんあります。とくに真中庭は千利休の作庭として有名です。

 

大仙院の入り口

 

 

大仙院の唐門

玄関国宝の看板が、ここかと思いきや入口の中の方丈玄関

 

 

大仙院の境内にある鐘楼

左手が玄関、そこを写すとき住職が出てダメ出し

 

 

芳春院への参道

 

 

芳春院の入り口

 

 

黄梅院前

 

 

門の中から

石碑には功労者の名が、小早川隆景の名があった、ここの再興者

 

 

見事な庫裏

 

 

黄梅院の前庭

 

 

今日の一枚

大仙院の近くの見事な建屋

 

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その9 細川家菩提寺‟高桐院”

  • 2017.02.26 Sunday
  • 06:51

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戦国大名ゆかりの大徳寺その9

 

細川家菩提寺‟高桐院”

 

 本日は紅葉の名所でもある高桐院をアップします。ここ高桐院は戦国時代の智将として、また千利休の七哲の一人で文化人として有名であった細川忠興(三斎)が父細川藤孝(幽斎)のために慶長7年(1602年)建立した寺です。開山は玉甫紹綜です。

山門から唐門まで続く参道は青竹で囲われた石畳があり、両側には竹藪と楓でおおわれている。秋の紅葉時はそれは見事です。また本堂(客殿)前庭は落葉時には真っ赤に染まる‟楓の庭”になります。さらに客殿の裏庭には2つの茶室があり、見事な路地庭を形成している。その奥には忠興 とガラシャ夫人の墓どころがあり、秀吉と利休がもめた春日灯籠があります。また茶室のある路地庭には加藤清正が朝鮮から持ち帰った石で作った蹲があります。

 

正月の高桐院の入り口

参道の竹が青竹に

 

 

同じく青竹に囲われた石畳の参道

正面は唐門

 

 

紅葉時の同じ風景

青竹が色づいている

 

 

方丈庭園の散紅葉

 

 

方丈庭園の緑の苔

 

 

方丈庭園に雪が

灯籠が何とも言えないアクセントに

 

 

細川家の墓所

 

 

問題の春日灯籠

 

 

加藤清正が朝鮮から持ち帰った石で作った蹲

 

 

今日の一枚

紅葉に染まる茶室と路地庭

 

 

 

 

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その8 能登畠山家の菩提寺‟興臨院”

  • 2017.02.25 Saturday
  • 06:29

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戦国大名ゆかりの大徳寺

 

能登畠山家の菩提寺‟興臨院”

 

 本日は能登国の戦国大名畠山義総が大徳寺第86世小川渓昭怤を開山として創建した興臨院をアップします。創建後は畠山家の菩提寺になっている。創建は天文2年(1533年)ですが、その後は畠山家が没落し、天正14年(1586年)に加賀百万石の基礎を築いた前田利家が改修し、前田家の菩提寺になっている。 

本堂、玄関、表門は室町時代創建当時のもののようです。また見事な茶室涵虚亭やバイタラ樹のある枯山水の庭もあります。なお方丈庭園は昭和の小堀遠州といわれる作庭家中根金作の復元した桃山風の石組を持つ庭があります。

 

創建当時の表門

奥に見えるのが唐門

 

 

方丈入り口と唐門

 

 

唐門から見た方丈庭園

 

 

方丈から見た庭園

石組が見事、紅葉が花を添えてくれた

 

反対側から見た庭園

 

 

バイタラ樹のある裏庭

バイタラ樹とははがきの素

 

 

その裏庭

 

 

茶室‟涵虚亭”

 

 

茶庭の風景

 

 

今日の一枚

珍しい万年青の花

 

 

 

 京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その7 大徳寺南派の本庵‟龍源院”

  • 2017.02.24 Friday
  • 06:33

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戦国大名ゆかりの大徳寺その7

 

大徳寺南派の本庵‟龍源院”

 

 本日アップする龍源院は東渓宗牧を開山として、能登の畠山義元、豊後の大友義長、周防の大内義興らによって創建された大徳寺最古の寺です。また大徳寺南派の本庵でもあります。

本堂、玄関、表門は室町時代の建立とされています。また裏庭にある開祖堂(開祖東渓禅師の塔所)は南北朝、鎌倉時代、室町初期の禅宗建築の粋を集めた昭和の代表作といわれている。

また庭園ですが庭園の龍源院といわれるだけあって、方丈を中心に南、東、北に東滴壺、一枝担、龍吟院と呼ばれる庭ががあります。また庫裏の裏庭には聚楽第の基礎石を使った阿吽の庭があります。

 

表門から中を

 

 

方丈入り口前

奥は唐門

 

 

庭園‟一枝担”

 

 

方丈から見た‟一枝担”

 

 

庭園‟龍吟庭”

 

 

庭園‟東滴壺”

 

 

開祖堂

 

 

阿吽の庭

 

 

方丈の入り口から

 

 

今日の一枚

静寂感のある表門前の路地

 

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その6 大友宗麟の菩提寺‟端峯院”

  • 2017.02.23 Thursday
  • 06:33

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戦国大名ゆかりの大徳寺その6

 

大友宗麟の菩提寺‟端峯院”

 

 本日アップするのは九州のキリシタン大名として名を馳せた大友宗麟が帰依した大満国師徹岬宗九を開山として迎え、自らの菩提寺として創建した瑞峯院です。創建年代は諸説あるがここでは天文2年(1533年)とする。

本堂、唐門、表門は創建当時のもので、室町時代の方丈建築の貴重な遺構であるようです。どこの塔頭でもそうですが、立派な庭があります。

ここ端峯院にも昭和の作ですが開祖徹岬宗九の400年忌に作庭された重森三令による方丈を中心にした南北西の3つの庭(独座庭、閑眼庭、茶庭)があります。とくに閑眼庭はキリシタン大名大友宗麟の思いを組んだ枯山水の庭で、東側にあるキリシタン灯籠を背にしてみると、7個の石組が十字架に形度られている

 

表門から中を

見事な入口です

 

 

その見事な入口を中から

 

 

砂紋が見事な独座庭

縁側から一人静に見る庭とも

 

 

縁側から見ると蓬莱山式庭園

雪の残った蓬莱山と枯れた柿の木

 

 

反対側から見ると

 

 

十字架の石組の閑眼庭

 

 

こちらも同じですが茶室を主体に

 

 

茶室への入り口

 

 

西側に茶室庭

 

 

今日の一枚

見事な中庭

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その5 織田家菩提寺‟総見院”

  • 2017.02.22 Wednesday
  • 06:38

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戦国大名ゆかりの大徳寺 

 

織田家菩提寺‟総見院”

 

 大徳寺の中にある塔頭で写真撮影が可能な寺を本日よりアップします。境内の場所は順不同ですが、その最初は豊臣秀吉が織田信長の一周忌に間に合うように創建した寺、総見院です。創建当時は広大な境内に、豪壮な堂塔が並んでいたそうです。しかし今は明治の廃仏毀釈で堂塔伽藍は灰燼と化し、今残るのは正門、土塀、鐘楼ぐらいだそうです。

境内には織田一族の供養塔が安置されています。また境内には3つの茶室があります。それは秀吉が総見院方丈で‟大徳寺大茶会”を開いた記録があるそうです。3つの茶室には龐庵、寿庵席、香雲軒と呼ばれている。

 

織田一族の供養塔

 

 

見事な前庭と方丈

 

 

前庭と鐘楼

 

 

茶室への廊下

緋毛織の椅子のあるところの天井には信長像を運んだ御輿が

 

 

茶室‟香雲軒”

 

 

茶室‟龐庵”

 

 

路地庭と寿安席

 

 

珍しい蹲

 

 

同じく

 

 

今日の一枚

塀の外にある鐘楼

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その4 大寺でありながら軽んじられる大徳寺

  • 2017.02.21 Tuesday
  • 06:36

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戦国大名ゆかりの大徳寺その4

 

大寺でありながら軽んじられる大徳寺

 

 本日は建勳神社の表参道から北大路に戻り少し西に行ったところに正式の入り口がある大徳寺そのものをアップします。大徳寺の境内にはいたるところから入れますし、境内に勅使門に始まり、山門、仏殿、法堂が一直線ならびその奥に方丈があります。どの建屋もスケールが大きく、方丈に至っては前列2列、左右4列の計8室があります。

寺は臨済宗大徳寺大本山で開基は大橙国師宗峰妙超で1325年(正中2年)に創建されている。一時は京都五山の上位に列せられたが、足利義教と折り合いが悪く、また山門の建設で豊臣秀吉に立腹を買い、一休や決庵和尚の紫衣事件で信用を無くしている。最近は名刹でありながら名前が出てこない。五木寛之の百寺巡礼にも載っていない。塔頭には写真撮影拒否の寺が多くあり、大仙院は特にひどい。そんなこんなで人気がない。

 

大徳寺の境内図

 

 

大徳寺入り口‟総門”

 

 

東門は入ったところから勅使門を

 

 

正面から勅使門を

 

 

大徳寺山門‟金毛閣”

千利休が完成させた上層部、そこに自分の木像を、秀吉が下を通らせたと怒った門、今は通行止め

 

 

豪壮な仏殿

 

 

勅使門の横に平康頼塔

平康頼は平清盛の家人、なぜこんなところに

京都歴史探訪15 戦国大名ゆかりの大徳寺その3 船岡山のある建勳神社

  • 2017.02.20 Monday
  • 06:30

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戦国大名ゆかりの大徳寺

 

船岡山にある建勳神社

 

 本日は船岡山公園のある船岡山にある建勳神社をアップします。ここ建勳神社は船岡山から山づたいに裏参道があります。直接は船岡山のバス停の一つ前建勳神社前から表参道があります。

表参道の入り口には太平和敬神の石標があります。ここが昔の本殿跡で、明治14年(1891年)織田信忠を合祀し、現在の地にの山頂に移転されています。

この地は豊臣秀吉が信長の廟所と定めていた地です。信長を称えるため明治天皇が建勳神社の創建を考え、信長の子孫の東京邸宅と織田家の旧領地(山形県天童市)に建勳神社が建立された。その後明治13年にここ船岡山に遷座されている。

 

建勳神社の境内図

 

 

建勳神社表参道入口

 

 

旧本殿跡

 

 

境内への登り口

 

 

その境内の風景

中央が拝殿、手洗い場

 

 

その拝殿

 

 

右手から見た神門と本殿

 

 

この手の写真は左右両方から

 

 

拝殿から見た境内

遠くの山並みは東山連峰

 

 

今日の一枚

家康が好きだった能の狷慇”の一節

 

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