名城を歩く 岡山城その4 岡山城から後楽園へ

  • 2015.05.24 Sunday
  • 06:48
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 本日は岡山城の廊下門から出て、旭川にかかる月見橋を渡り後楽園に向かいました。後楽園は金沢兼六園、水戸偕楽園とともに日本三大名園の1つです。その後楽園ついては明日書きますが、三大庭園とも大名庭園です。
さて旭川は岡山県の三大河川の1つで、昔は清流旭川と呼ばれて、アユが遡上する川でしたが、上流にダムが出来その姿は一変しています。なぜこんなことを書くかといえば、高校生までは夏場は毎日アユ捕りに夢中になった思い出があるからです。ところで月見橋のあるあたりは、岡山の有数の桜の名所です。桜咲く頃は堤防の土手を散策する人で込み合います。


廊下門を出るとこの風景
前方に見えるのが月見橋、橋をわったところが後楽園の南門



旭川河畔から上流を

前方に見えるのは後楽園の正規の門への橋



上流から見た月見橋



月見橋から見た岡山城天守



清流旭川に浮かぶ岡山城天守



月見橋を渡ると後楽園の裏門

桜咲くときは見事です



後楽園の案内図



 

名城を歩く 岡山城その3 中の段から廊下門へ

  • 2015.05.23 Saturday
  • 05:54
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 本日は中の段の様子をアップします、大手門から入ると中の段を見ずに不明門から上の段に行くのが便利です。しかし後楽園を見て岡山城に来ると旭川にかかる月見橋を渡り、廊下門から中の段を見て、不明門から上の段に行くのが普通です。私は後楽園をゆっくり見たく大手門から入りました。昔は中の段と上の段は廊下門の廊下を通って行き来をしていたようです、今は廊下は封鎖されているので上の段からは中の段に脇道があります。
さて中の段には昔は書院がったようです、隅櫓として月見櫓が創建当時のまま残されています、月見櫓の名前があるのは全国でも珍しいようで案内人が自慢していました。この月見櫓を支える石垣も珍しいようで見事な石組です、この中の段には昔の宇喜多秀家時代の石垣が発掘されています。


中の段の風景
何もありません、この風景と次の月見櫓ぐらいです。地面に書院の間取りが書いてあります。



中の段の風景 月見櫓
本当に月見をしたようです、ここで見逃したのが石の狭間、櫓の塀に



廊下門を中の段から



廊下門を外から



外から見た月見櫓
見事な石組、この方法を打込ハギというそうです



同じところにある野面積の石垣



旭川の土手から見た天守
手前に石には歴代城主の家紋が



中の段の地下にあった宇喜多秀家時代の石垣

名城を歩く 岡山城その2 天守のある上の段

  • 2015.05.22 Friday
  • 06:02
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 本日は中の段の散策は後にして、不明門から石段を登ったところが天守のある上の段で.その上の段と天守の様子をアップします。上の段は本段とも呼ばれ城主自身が生活していた建屋がったようです。ここ上の段の見どころは何と言っても天守の優美な姿で、兵器櫓を従え、黒漆の天守は見事です。さらに天守からの眺めも最高で、下を流れる清流旭川、その先に天下の名園後楽園を見る眺望は素晴らしいです。その後楽園の向こうにわが母校もあるのですが。
また上の段には元の天守の基礎石を移設した一角があります、平面で見ると小さな感じがします。その先に昔の勝手門六十一雁木門が復元されています。下の段から登る階段が六十一段であったことから名づけられています。


別名烏城の名を持つ天守



角度を変えて



昔の天守の基礎石と六十一雁木門



天守にある城主の居間



天守からの眺望

金の鯱越しに、旭川、後楽園、わが母校



おなじく天守からの眺望
眼下に岡山県庁



天守から見た月見橋
岡山城と後楽園を結ぶ橋



上の段が城主の住居であった証の庭園



お気に入りの写真

名城を歩く 岡山城その1 大手門から不明門

  • 2015.05.21 Thursday
  • 06:20
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 本日からは名城を歩くは我が郷里の岡山城です、ここ岡山城は戦国時代の武将宇喜多秀家の築城です。その後も名称といわれる小早川、池田氏と代を重ねています。岡山城は‟安土城に建築あり制に擬して天守を設し、その制三重造にて五重”と古い記録にある日本を代表する城郭建築だったようですが、昭和20年の空襲で焼失し、昭和41年コンクリート造りで再現されている。
清流旭川、日本三大名園後楽園を背にする天守は外壁の下見板が黒漆で塗られて、俗にいう太陽光線に照らされると“カラスの濡れ羽色
に似ていることから烏城も言われている。
本日は岡山県庁前にある大手門から入り、城は上中下の3段に分かれているので,下段にある大手門から中段にある不明門までの様子をアップします。


岡山城の城内図
矢印の通り歩く


県庁前から内下馬橋(目安橋)越しに大手門跡を



昔の大手門は枡形門であったのでは



大手門跡の入口には烏城公園の文字が



見事な石組



鉄門跡と不明門の櫓



鉄門からの中の段の様子
正面の藤の下には太鼓櫓が有ったようです



中の段には上の段からの帰りに、すぐ不明門から上段に



中から見る不明門
廊下門に似ている、創建当時は開かずの門だったようです

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡最終回 遺跡からの帰途

  • 2015.05.20 Wednesday
  • 05:57
 本日は一乗谷朝倉氏遺跡を散策後立ち寄った風景をアップします、最大の目的は駅裏にある西山光照寺跡の石像、石仏群をを見ることでした。この西山光照寺は一乗谷最大の寺院ということでしたが、今は石像、石仏を覆う小屋と真ん中に池跡があるだけの遺跡でした。また石像、石仏もそんなに特徴のあるものではありませんでした。さらにパンフレットには朝倉氏の歴代の当主が崇敬したといわれる安波賀春日神社に立ち寄る予定でしたが、場所を間違え寄ることが叶わなかった。というのも公共機関を使った旅では時間が勝負ですので一度間違えると後戻りはできない日程にしています。今回の越美北線は昼間は2時間に一本しかありませんでした。

一乗谷駅から見た西山光照寺跡
近くに見えたが道が大回りで、帰りに寄ったが時間がなく駅まで駆け足でした



石像と石仏の小屋



中の石像



おなじく
後ろが西山光照寺跡



西山光照寺跡を示す石標



安波賀春日神社
神社は先の階段の上にあった



最初に間違えて入った民家

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その5 朝倉義景館跡

  • 2015.05.19 Tuesday
  • 06:05
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 昨日アップした庭園や舘は高台にありますが、本日アップする朝倉義景館跡は高台から見下ろす平地にあります。ここも昨日アップした館や庭園同様基礎石と庭園の石組があるのみです。しかし義景の館跡には義景を弔うため義景の墓所や舘の入口に当たるところには唐門が有ります。この唐門は義景を弔うために後に建てた松雲院の表門だったようですが、一説には豊臣秀吉が義景を弔うため伏見城の門を贈ったとも言われています。この唐門は遺跡のシンボルとして扱われています。

唐門の風景



中から見た唐門
門脇の木は桜、桜咲く時期のこの風景がベストだそうです



唐門から見た義景館跡



高台から見た義景館跡



同じ風景を横から



舘の庭園跡

石組が見事



義景の墓所



こちらは歴代墓?



遠くから見た館跡

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その4 朝倉氏の庭園

  • 2015.05.18 Monday
  • 05:59
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 本日は上城戸から一乗谷の東側に広がる朝倉氏館跡の風景をアップします。ところでこの館跡は道案内によれば復元町並のパーキングから一乗谷川のかかる橋を渡り、高台にある諏訪館跡庭園、中の御殿跡、湯殿跡庭園を見て平地にある朝倉義景館跡を巡るようになっていますが、そのほかに英林塚(朝倉考景墓)、物見台、南陽寺跡庭園があったようです。
さてその中で本日は諏訪館跡庭園(朝倉義景夫人の屋敷跡)、中の御殿(義景の母高徳院の居館)、湯殿跡庭園(一乗谷で最も古い4代孝景時の庭園)風景をアップします。


一乗谷川と東側への橋



朝倉氏の館跡が広がる山裾


諏訪館跡庭園


おなじく



中の御殿跡への門跡



中の御殿の居館跡



中の御殿跡から見た復元町並み



湯殿跡庭園


おなじく



 

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その3 復元地区

  • 2015.05.17 Sunday
  • 05:44
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 本日は下城戸から上城戸までの一乗谷の西側に広がる復元地区の様子をアップします。城主である朝倉氏の館跡は東側にありますので上城戸からの帰りに散策しました。その様子は明日。
本日アップする西側には土塁や道路、便所跡、井戸跡等が平面で表されている平面復元地区と塀に囲まれた町並みを再現した復元町並地区があります。平面復元地区の山麓には寺院が並んでいたようです、また町並復元地区は真中の道路を挟んで山側に重臣の屋敷が川側に武家や庶民の町並みがあったようです。何軒か昔の町屋が再現されています。


計画的に作られた道



屋敷跡の様子



おなじく



復元町並みの入口

本当にこんな門がったのだろうか



町並みの中央の道

右手が重臣の屋敷、左手が武家や庶民の家



重臣屋敷の中



庶民の家の中



店屋が並ぶ復元町並み



モデルをお願いして

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その2(下城戸、上城戸)

  • 2015.05.16 Saturday
  • 06:56
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 本日は一乗谷朝倉氏遺跡は東西400m、南北2.5劼琉貍菽川沿いに構築された中世の計画都市です。その一乗谷の東西の幅の狭いところに土塁や濠からなる木戸口が北が下城戸、南が上城戸で、城の大手門、搦め手門に相当するようです。城戸の間に都市が築かれ、一乗谷川を挟んで東側に朝倉氏の館、南側に武家や町民の屋敷が並ぶ町並みだったようです、さらに西側山手には寺院が並んでいます。
発掘跡はさながらイタリアポンペイの火山灰に埋もれた遺跡跡を見るようです、この遺跡跡は明日、本日は城戸の様子を


下城戸跡にある看板



大手門の枡形を思わせる石垣



土塁と濠



反対側は



道から見た風景



道沿いの石標



道沿いの風景

ここは桜の花がたくさんあったが、この通り


途中にある旅籠



上城戸の風景

名城を歩く 一乗谷朝倉氏遺跡その1 イントロ

  • 2015.05.15 Friday
  • 06:09
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 本日からは福井県福井市にある一乗谷朝倉氏遺跡の風景をアップします、実はここを訪れたのは名城を歩くで一乗谷城を歩く予定でしたが、一乗谷朝倉氏遺跡資料館で一乗谷城への道を確認した時やめときなさいと言われた。それよりは朝倉氏遺跡を歩いたほうが見所があるといわれたました。一乗谷城は標高450mの山の上にあり,道も悪く石垣が残るのみですといわれた。そんなわけで本日からその一乗谷で最近発掘された朝倉氏遺跡を歩いた様子をアップします。
朝倉氏は兵庫県丹波の出身ですが、主君に斯波氏と越前に入国し、応仁の乱の活躍で、一乗谷に北陸の京都と呼ばれる都市を建設したが織田信長の軍勢に敗れ、城下町は灰燼に帰した。その城下町の遺跡が昭和42年に発掘され今は復元が行われている。一乗谷川に沿いの下城戸から上城戸までの2.5劼隆屬飽篝廚賄精澆靴討い泙后
福井駅から越美北線(通称九頭竜湖線)で一乗谷駅へそこから下城戸までは10分ぐらいです、本日はそこまでの風景を


一乗谷朝倉遺跡の地図


田圃の中にある一乗谷駅



駅前の国道沿いにある一乗谷朝倉遺跡資料館
役場かと思いきや資料館、立派です



国道沿い資料館の裏を流れる足羽川
上流に九頭竜湖が、下流は桜の名所



足羽川にかかる九頭竜線の鉄橋

この下で一乗谷川と合流、一乗谷川は足羽川の支流



九頭竜湖へ道
こんな隧道や川底の道が続く



国道から一乗谷朝倉遺跡への分かれ道



一乗谷川と一乗谷城への橋

この橋から登るようです、最初の地図を見ればすすめられないのがわかる

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