名城を歩く 四国名城探訪の旅23 松山城その1

  • 2015.04.19 Sunday
  • 07:02
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 本日は大洲城から松山に帰り、松山城に登城した様子をアップします。本来ならこの日は松山に泊まりますので登城は明日としていたが時間も早く行くところもないので松山城登城を強行した。それというのも松山城には麓からロープウエーとリフトで本丸下まで行くことが出来るので登城ことにしました。その他麓にある二の丸から歩く方法(帰りに歩きました)もあります。
さて私は高度恐怖症ですが、怖いもの見たさ(本当はロープウエーが韓国人のツアーでいっぱいだったから)でリフトに乗りました。このリフトは本丸の石垣したに着き、石垣を半周して本丸への上り口にある門に着きます。最初の門戸無門から天守に着くまでには7回も門を潜ります。本日は戸無門から筒井門までの様子をアップします。筒井門の次にある太鼓門を潜ると本丸広場です。

松山城の城内図



本丸へのリフト



リフトからの天守
天守の高欄から逆にリフトが見える



本丸にある太鼓櫓
本丸は石垣の上に



最初の門戸無門
狭いところにある門



戸無門を潜ると大きな筒井門

奥にも隠れ門が



中から見た隠れ門と筒井門

凄い用心深さ、左手が隠れ門



隠れ門の入口



中から見た筒井門

名城を歩く 四国名城探訪の旅22 大洲臥龍山荘

  • 2015.04.18 Saturday
  • 06:13
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 本日は近いということで、大洲城から臥龍山荘まで歩きましたが、予想以上に時間を要し、また臥龍山荘ではお遍路さん一行の団体客とかち合い団体さんご一向に退散まで写真撮影を待っていました。そのため小京都の風情を楽しむ時間が無くなり、あわててタクシーを呼び駅に直行した。
さて楽しみにした臥龍山荘ですが、結構狭い場所で、趣は感じましたが宇和島での天赦園を見た後で少し物足りなさを感じた。その臥龍山荘ですが、明治の貿易商河内寅次郎氏が10年の歳月をかけて築いたものですが、最初は“蓬莱山が龍の臥す姿”に似ているところから第三代大洲藩主加藤泰恒が臥龍山荘と命名したようです。清流肱川河畔で最も明媚なこの地に庭を作ったのは藤堂高虎の重臣で、この地をこよなく愛した泰恒が吉野の桜、竜田の楓を植えて庭を一層風致にし、幕末まで歴代藩主の遊賞地としたとパンフレットにあります。庭には3つの建物臥龍院、知止庵、不老庵を中心にした川沿いに狭い庭です、見どころは臥龍院の内部と不老庵の肱川越しの風景です。しかし不老院の肱川越しの風景は見られませんでしたのでパンフレットのコピーを


狭い山門



山門を抜けると石垣沿いの道
この石垣の上が臥龍院



石段を上がるとこの風景



正面から見た臥龍院



知止庵
かっては浴室、今は茶室



不老庵の絶景
この写真はパンフレットより、この風景に魅せられて立ち寄った



庭からの写真



縁側からの肱川
先に見える橋まで行くと先の写真の風景が



庭の風景



 

名城を歩く 四国名城探訪の旅21 大洲城その2(天守)

  • 2015.04.17 Friday
  • 06:57
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 本日は大洲城の天守をアップします、ここ大洲城の天守は明治21年に解体されていますが、平成16年に江戸期の雛形や絵図、明治期の写真をもとに復元された平成生まれの天守です。創建当時の天守は脇坂安治が城主の時とされています、なお大洲城には創建当時の櫓4棟が残っています。そのうちの2棟は天守再建の時多聞櫓で結ばれています。その櫓は高欄櫓と台所櫓でです、その他2つは町の中にあり見ることはできなかったが、南隅櫓と苧綿櫓です。
さて天守に登りましたが、肱川の清流が見られるだけの風景でした、天守がある本丸も今は慰霊塔があるだけで何もありません。やはりここ本丸での見どころは平成生まれの天守と2棟の櫓の見事さだけです。ちなみに天守は全て木造です。


二の丸から本丸への坂道
この坂道の先が昨日アップした暗がり門



坂道下から見た高欄櫓
櫓に高欄があるのは珍しい



記念写真の位置と天守



天守の内部にあった昔の城の復元図



天守の内部
平成生まれらしい木の香の匂う内部



参考にした天守の雛形



天守の最上階

ここには高欄はない



天守最上階からの肱川上流



おなじく肱川下流
正面右手の小高い丘の裾の肘川沿いに明日アップする臥龍山荘が








 

名城を歩く 四国名城探訪の旅20 大洲城その1

  • 2015.04.16 Thursday
  • 07:40
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 ここ大洲城は宇和島から松山へんの帰り道に立ち寄りました、大洲といえば伊予の小京都といわれる城下町です。町を流れる肘川沿いに江戸や明治の面影を残す町並みがあります、NHK朝の連続小説“おはなはん”のロケ地でもある。そんな大洲に立ち寄ったのは大洲城への登城もありますが、最大の目的はテレビで見て一度は見たいと思っていた臥龍山荘を訪れることでした。その写真明後日に。
さて大洲城ですが、築城の名手藤堂高虎が宇都宮氏の居城であった地蔵ケ獄城を近世城郭に改造した城ですが、天守は明治に解体されていますが平成に復元されています。そんな大洲城ですが藤堂高虎の築城ということで縄張りは立派です。その一端を本日はアップする。

大洲の街図


電車の中から見た大洲城の勇姿



肱川の土手から見た大洲城


お城への登り道からの天守
昔の城郭は広かったようですが、その一部しかないのでいきなりこの状態です



二の丸広場にある中江藤樹の記念碑

地元出身の江戸時代の儒学者ということですが、実際は近江商人



畜産農家の顕彰碑



本丸にのぼるところにある暗がり門跡
なぜこんな名前が



本丸広場

名城を歩く 四国名城探訪の旅19 宇和島市内

  • 2015.04.15 Wednesday
  • 06:31
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 本日は宇和島市内の風景をアップします、折角来たのですから市内散策をしなければと思い、宇和島港に向かいました。しかし結構遠く途中で港にある市場で休憩し、昼食にした。そのため宇和島港に行く時間が無くなった。私は旅行するときは電車は普通で移動するのですが、今回は強行日程のため特急を使いました。そのため時間に制約が出来、見るべきところが見られないケースが今回は多々発生した。その上現地での食事は現地のささやかですがうまい物と食べることにしている。ここの昼食は現地名物じゃこ天の揚げたてにした、その場で上げてくれます。
さて市内の風景ですが、駅前で少し撮影したのでその様子を。まず宇和島といえば闘牛です、駅前に横綱牛の銅像がありました。駅前といえばさらに珍しいものが、それは日本最初の蒸気機関車[ドイツコッペル社製)の復元模型がありました、この姿はこの後訪れた松山市内を走っていた坊ちゃん電車に似ていた。この模型は鉄道唱歌100年記念事業で製作と書いていた。


散策に使用した市内地図


宇和島駅前の風景
ヤシの木が南国らしさを



蒸気機関車の模型



闘牛の横綱牛の銅像



伊達記念館と伊達宗城の銅像




記念館前の風景



今回もこんな特急

名城を歩く 四国名城探訪の旅18 天赦園その2

  • 2015.04.14 Tuesday
  • 06:43
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 ここ天赦園は昨日アップした茶室のある風景とともに、池泉廻遊式庭園で、季節季節の花が咲くようで、桜、藤、花菖蒲、紅葉は有名のようです。特に藤はあちらこちらに藤棚が見られました。しかしここでの見どころは七代宗紀が伊達家の家紋(竹に雀)に因んで竹を愛し至る所に竹藪があり、その種類は19種類とパンフレットに書いてあった。
もう一つの見所は庭の至る所に石や石組があることです、特に池のまわりの石組は見事です。その石に名前が付けられているのもお見事です。

石のある風景



おなじく



池の護岸そびえる陰陽石




おなじく

石に名前が付けられている、この石は船繋ぎ石,ロープの後が



竹藪の道



竹藪のある風景



池を跨ぐ藤棚



反対側から



藤棚の風景

名城を歩く 四国名城探訪の旅17 天赦園その1

  • 2015.04.13 Monday
  • 04:48
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 本日は行きのタクシーの運転手に進められ立ち寄ったのが天赦園です。ここ天赦園は宇和島藩2代藩主伊達宗利が造成した浜御殿の一部を7代藩主宗紀が退陰の場所として、大改造し竣工し“天赦園”と命名したとパンフレットに書いていた。さらにパンフレットによれば宗紀は維新4賢公といわれる宗城(八代藩主)を陰で支えた人いわれ、西郷隆盛、大村益次郎、高野長英等勤王の志士との会合もここで行われたと書かれている。
また大正11年昭和天皇が皇太子の時,ここを訪れたとも書かれている。本日はそんな庭園内の昭和天皇の御座所ともなった潜渕館をはじめとする建屋を中心に写真をアップする、庭園風景は明日


御殿らしい門



御座所となった潜渕館



別角度から



宗紀が優雅に暮らした春雨亭
宗紀は号を春山といい、愛書家で書道に研鑽し、100歳まで生きたようです。



春雨亭の表庭



別角度から



おなじく裏庭



月見亭



食事処
片隅のある郵便受けが気になる

名城を歩く 四国名城探訪の旅16 宇和島城その3

  • 2015.04.12 Sunday
  • 06:39
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 昨日書きましたが裏門(搦手口にある門)に当たる立ち上がり門から登ると(今回は正式に下った)と天守まで7つの門が存在したといわれています、ちなみに立ち上がり門から登ると丸だけでも、式部丸、代右衛門丸、長門丸、藤兵衛丸、二の丸を経て本丸です。今回は逆(正式)に下りました。この間ほとんど何もありません、長門丸は遊園地、藤兵衛丸は郷土館になっています。すなわち見るべきものは石垣のみです。
何故いつも天邪鬼の私が反対から登ったかといえば、タクシーの運転手に立ち上がり門から近いところに伊達宗利が作った浜御殿跡の素晴らしい庭園天赦園があるから見て帰ってはといわれ反対から登りました。本当に絶景でした写真は明日、なお本日の写真は立ち上がり門から登って様に


昔の模型図


立ち上がり門



裏から見た立ち上がり門



式部丸跡



初めて見える城らしき建屋

立ち上がり門から登ると天守は最後まで見られません



長門丸跡の桜風景



長門丸から藤兵衛丸への石段



藤兵衛丸跡にある郷土館


正式の登った道との合流点
本丸から降りてくるとここで合流





 

名城を歩く 四国名城探訪の旅15 宇和島城その2(本丸)

  • 2015.04.11 Saturday
  • 07:11
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 本日は本丸にある天守の勇姿をアップします、ここの天守も創建当時の姿を残す天守の1つです。今の天守は藤堂高虎時代の天守ではなく、仙台伊達藩(初代は伊達政宗の長子)から入城した2代目伊達宗利の築城です。この天守は平和の時に建てたため、おとなしい
狭間や石落し等のない破風が綺麗な天守です。
さて本丸には天守以外何もなく、また今回は松山に連泊のため写真機のみを持ってきたので天守への登城を期待してきましたが、時間が早すぎて開城されていなかった。そこで天守の廻りを一周していろいろの角度から天守を撮影したのでアップして見ます。こんな撮影方法もあります。なお本丸と二の丸が櫛形門でつながっていた用ですが何もありませんでした、また二の丸にも何もなく、ただ二の丸や本丸から宇和島港の風景は見事です。

正面からの天守

逆光の中の天守、こんな撮影方法も



少し引いた姿
手前の石跡は櫓跡か



サイド光で



半逆光で



正面入り口を主役に



二の丸から本丸への入口

ここに櫛型門があったようです



桜を入れて



二の丸からの宇和島港



本丸からの宇和島港

違いがある

名城を歩く 四国名城探訪の旅14 宇和島城その1

  • 2015.04.10 Friday
  • 06:46
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 宇和島城は城山といわれる小高い丘の山上に天守があり、下図の城内図の通り手前から登り、反対側に降りる地形です。しかしこの地形は五角形をしており、攻めにくい城だったようです。
ここの天守も創建当時の天守がある城となっていますが、藤堂高虎が近世城郭化した平山城です。天守は伊達家二代藩主伊達宗利が建てた二代目天守です。本日は三の丸があったといっても今は住宅街で、その一角に桑折家の武家長屋門を移設した門から、そく急坂を登って行きます。途中に城にとっては大事な井戸跡があります。さらに進むと藤堂高虎に築城らしい石垣な何箇所か見られて、初めて前方に高石垣に突き当り道は左右に分かれます。一方は天守へ、一方は反対側の丸へと続きます、このようなところが2か所あって初めて二の丸に行きつきます。またこの城山は手つかずの原生林で階段道は昼間でも薄暗いです


宇和島城の城内図


桑折家の武家長屋門
入るとすぐ天守への登り道です

 

その登り道の途中にある井戸跡



昼間でも薄暗い登り道
先に天守と石垣が、突き当りが左右への分かれ道



また同じような左右への分かれ道
石垣の上が本丸



上の道を右に行くとこの風景
左に行く本丸下を一周するだけ、この風景の先は二の丸



上の階段から振り返ると



二の丸からの風景
前方に見えるのが宇和島港



後方の風景
これは負け惜しみの写真、桜が咲くとこんな風景と、鳩が点景になってくれた

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